先日、外回りの仕事を終えた私は帰宅のために鉄道に乗った。
南千住から常磐線に乗り、日暮里で乗り換えるいつものルートである。
鉄道に乗り込んだ私はヒンヤリした空気にホッとし、同時に汗が引っ込んでいくのを感じて安心した。
その日は思わぬクレームや上司とのやり取りに普段の何倍も冷や汗をかいていたため、鉄道の中のいつもの日常を感じ、戻ってきたのだなと感じた。
子供のころから鉄道に乗ることが多かった私は、鉄道の座席や揺れるつり革、変わらずガタンゴトンと音を立てながら走る鉄道の中を、同じような安心感にるようになっていた。
最近ではスマホばかりいじってしまいあまり見ることも少なくなったが、その日窓から流れる景色はほかで味わえない程早く、まるで自分が光にでもなったかのように錯覚させられる。
しかしそれと同時に、何とも言葉にならない気持ちが私の中に燻るのを感じた。
その日はちょうど、「電力需要ひっ迫警報」が発令されている最中であった。
電力ひっ迫警報とは
2022年3月、史上初めての「電力需要ひっ迫警報」が発令された。
それ以来、2度目の「電力ひっ迫警報」である。
電力会社の供給予備電力率が3%を下回る見込みとなった場合に出される警報だ。
供給予備電力とは、電力会社が予想する最大電力消費量よりも余裕を持たせて発電している電力のことをいう。
この3%という数値は、ご存知の通りいつ電力需要が供給を超えてしまってもおかしくない数値である。
その原因はウクライナ情勢の影響で発電に使用する燃料調達が困難を極めていることや、火力発電所のトラブルなどもあるが、社会全体として電力の消費量は年々増加し続けていることも間違いない。
そしてその中には、巣ごもり需要によるエアコン消費量の増加等も問題視されている。
日本の電力消費量はブラジルの約三倍、イギリスの約に二倍と極端に多かった。
しかし近年では省エネの意識の向上により特に企業などの電力消費量が減少傾向がみられていた。
一方、ここ数年を見ると一般家庭での電力推移は増加傾向である。
そのことを思ったとき、私は今後の鉄道の未来について考えずにはいられなかった。
これからの鉄道の姿はどうなってしまうのだろう、と。
コロナ禍以降、回復の兆しはみられるが依然として航空、鉄道会社は苦しい時代を迎えている。
それは旅行客の減少を始め、テレワークなどの働き方改革からくる使用者の現象が無関係ではないだろう。
これからの鉄道
今後EV車の登場や、より便利な家電製品の発明など、電力の需要は年々増え続けていくのだろう。
その中で、収益が減り続けるなかでよりエコであることを求められるであろう鉄道は果たして今のままの鉄道が生き残っていくことはできるのだろうか、どのように姿を変えていくのだろうか、と。
年々増加する廃止される路線長が増加し続けていくのは、今までの在り方の終わりを示しているように感じる。
私が生まれたころから乗っている四角い、今でもなじみのある鉄道がなくなってしまう日は遠くないのかもしれない。
それは私の知らない古い時代の鉄道たちが淘汰され、より社会に沿った形に姿を変えてきたような大きな流れの一環なのだろうか。
まとめ
鉄道は私たちの生活になくてはならないものであり、日常の一部であり、そして青春を彩る大切な乗り物である。
決して、なくなることはないだろうと信じている。
だとしても、今まで当たり前であったものの終わりを感じると胸の奥に哀愁があふれてくるのを止めることはできなかった。
そして、私たちの子供が小さなプラレールを手に「こんな鉄道あったんだねー」と話す姿を想像し、これからの時代はどうなっていくのだろうと夢想した
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