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鉄道列車の思い出を取材しました

鉄道旅行 記事

これまで、たくさんの鉄道列車を利用してきましたが、記憶に残る列車と言えば、子供の頃に乗った蒸気機関車や、大人になってから乗った新幹線「ブルートレイン」でした。

みなさんも、どの列車に対しても、それぞれ思い出が詰まっているのではないでしょうか?

子供の頃を思い出し、そして大人になってから乗って感じた列車の思い出について紹介します。

蒸気機関車

じゃらんnet 参照

子供の頃によく利用した列車は蒸気機関車でした。

地方の路線区には、まだ、電車は乗り入れしていない時代ですから、蒸気機関車が主流でした。

一部、ディーゼル機関車も運航していましたが、ディーゼル機関車に乗ることは、まれでした。

蒸気機関車は、黒々とした車体に煙突が付いているのがとても印象的でした。

重量感のある車体は「ごつい」といった、表現が似合うかもしれません。

路線区を走っていたのは、SL(エスエル)と呼称されていた車体でした。

山間部を這いながら進むような印象が強く残っています。

トンネルに入る前には、大きな「ポッー」という汽笛を鳴らしながら猛々しく前進していきます。

また、トンネルを通過するときには、必ず窓を閉めなければなりませんでした。

窓を閉め忘れると、トンネルを出る頃には、顔が黒く煤やけたものでした。

思わずその顔を見て笑いに包まれたものです。

煙突から吐き出される煙には、火の粉が混じっていて枯れ草などに燃え移り、ボヤ騒ぎになったこともあります。

蒸気機関車の思い出は、今でも印象強く残っています。

新幹線

JR東日本 参照

新幹線に初めて乗ったのは社会人になってからでした。

それまで、ローカル線の蒸気機関車かディーゼル機関車しか乗ったことがありませんでしたから、初めて乗った時にはその快適さに驚かされました。

流線型の列車はとても美しいものに感じられました。

当時はまだ東京から大阪までしか運航されていませんでした。

その東京~大阪間をわずか3時間あまりで到達する訳ですから、その快速にはビックリしたものです。

便名は「ひかり」「こだま」のみで運航していました。

食堂ビッフェのある列車に乗るのも初めてで、何から何まで感心させられたものです。

もう一つ驚いたのは、列車の長さでした。

「16両編成」で運用されていたように記憶しています。

その後は、岡山、広島、福岡まで延線され、東京から福岡までというように遠くまでの乗車が可能になりました。

サラリーマンが出張によく利用したものです。

ブルートレイン

Wikipedia 参照

このブルートレインに乗車したのも社会人になってからでした。

ブルートレインも新幹線と同じく、サラーリマンもよく利用したものです。

ブルートレインは「九州」「東北・北海道」「北陸」などのそれぞれのルートがありました。

私がよく利用していたのは、九州行きへのブルートレインでした。

便名が「特急富士」「特急彗星」でした。

特急富士は、東京から鹿児島まで、特急彗星は大阪から宮崎まで運行されていました。

特急富士は、東京~鹿児島間を24時間以上かかるなど、丸1日かけて運用されていました。

東京を18:00頃に出発し翌日の18:00前後に鹿児島に到着していたと記憶しています。

ブルートレインは、寝台車付きでしたから夜間帯はベッドで、昼間帯は座席に座りながら長旅をしたものです。

乗車率は、特急富士も、特急彗星も常に90%以上と高い乗車率を誇っていたそうです。

ただ、一日中、列車に乗っているとさすがに腰が痛くなるなど苦痛を感じることもありました。

今では、特急富士も特急彗星も運用から外れてしまいましたが、懐かしい列車です。

復活を望みたいですね。

まとめ

  1. 蒸気機関車
  2. 新幹線
  3. ブルートレイン

これまで、思い出に残る列車を紹介してきました。

どの車両も懐かしさでいっぱいです。

蒸気機関車もブルートレインもすでに引退してしまいましたが残念です。

一部の区間で復活している列車もありますが、昔のように走る姿を見たいものです。

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